湘南アマデウスとともに三十年(2)牧野陽子さん

湘南アマデウス合奏団では、合唱団・合奏団の創立30周年を記念して、団の創設にご尽力された方々を中心に連続インタビューを行っています。
第二回は牧野陽子さんです(聴き手:湘南アマデウス合奏団団長・矢後和彦)。

【連載第二回】牧野陽子さん

(湘南アマデウス合奏団ヴァイオリン奏者、初代コンサートミストレス[1997-2013年]、藤沢市辻堂東海岸在住)

2023年10月25日・牧野様邸にてインタビュー

――牧野さん、ご自宅にお邪魔して恐縮です。本日はよろしくお願いします。

牧野:この機会をいただいて、神、モーツァルトそして私の関係が、改めてふりかえる事によって、この30年を含めて鮮明に浮かび上がりました。
自分ではっきり意識できたような感じが致しました。

神との邂逅、ヴァイオリンとの出会い

牧野:東京の実家の斜め前にドン・ボスコ教会があったんですね。
そこでは土曜学校で、信者ではない子供たちを集めて絵を描いたり、音楽をやったりしてくれたんです。
私はそこに4・5歳の頃に参加しました。日本人の神父さまの顔は今もおぼろげながら覚えています。

ちょうどその頃、家の近くを通るとどこからかきれいな音が聞こえてきました。
「あの音は何」と母に聞きましたらヴァイオリンだと教えてくれたんです。
習いたいと言ったら、すぐに習いに行かせてくれました。

ところが数年経って「ユモレスク」をやることになったのですが、どこにつまずいたのか、うまく弾けず、レッスンに行きたくなくなってしまいました。
そこで母が一計を講じて、ちょうど先生のお宅に伺うところに不二家がありましたので、レッスンのあとには不二家でチョコレートパフェをいただくことになったんです。
チョコレートパフェに釣られてヴァイオリンの危機を乗り越えたという感じですね(笑)。

中学・高校時代はカトリック校ではなかったんですが、学校が四谷のイグナチオ教会に近かったので、友人と一緒に通い始めたんです。
きっかけは友人もおぼえていないんですが、割と足繁く通いました。神の不思議な御業でしょうか。

大学卒業後に、音楽仲間のひとりであった主人[牧野進一氏、湘南アマデウス合奏団ファゴット奏者]と結婚することになったのですが、具体的に結婚の話がまとまったときにはじめて主人がカトリック信者であったことがわかりました。
私も結婚後に受洗しました。1974年のことです。
イグナチオ教会に一緒に通った友人も受洗し、結婚相手も信者の方でした。

その後、子育ても一生懸命にやりまして、長男・次男とも大船の栄光学園に通いました。主人も同じ学校です。
そこでは非常に開放的なオーケストラがありまして、学校関係者なら卒業生でも保護者でも兄弟姉妹でも参加できるというものだったのです。
主人も長男(オーボエ)もそのオーケストラに参加して、子供たちよりも楽しい学校生活を送りましたね(笑)。
建替え前の労働会館で室内楽もやりました。いまも在任されている栄光学園の望月校長がチェロの名手でして、楽しかったですね。
労働会館ではハイドンの「ひばり」、ドボルザークの「アメリカ」など楽しかったです。
そして次男の同学年にヴァイオリンの諏訪内晶子さんの弟さんがいらして、その伝手でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲をご一緒出来たのも良い思い出です。

現・団員の高橋さんと野村さんも、お子さんは栄光に通われていましたが、普段の栄光フィルでご一緒したことはないと記憶しています。
栄光創立50周年記念演奏会で高橋さんとは一度だけご一緒しました。
子供が卒業しても親はオーケストラにいられるのです(笑)。

湘南モーツァルト愛好会の合奏団

――湘南モーツァルト愛好会との出会いはそのころでしょうか。

牧野: 1995年頃に突然一本の電話がかかってきまして、それが中島良能先生からだったんです。

――中島先生とはそれ以前に接点はあったんですか。

牧野:いいえ、本当に挨拶程度だったんです。
それが突然電話をいただいて 「湘南モーツァルト愛好会という団体があるのだが、知っているか」と言われまして、「いえ知りません」とお答えしました。
そこで「この愛好会で合唱団があり、合奏団も作ろうじゃないかという話がある」とのお誘いをいただきました。
中島先生は(当時)「人口30万ほどの藤沢市にオーケストラが藤沢市民交響楽団(藤響)の一つしかないというのは文化的にあまりにも貧しいのではないか」とおっしゃっていました。

そして、この湘南モーツァルト愛好会のオーケストラに私も「一緒にやらないか」とお誘いいただき「楽器を持っていらっしゃい」と言われたんですね。びっくりしたんですが、ありがたい話なのでお宅に伺いました。
そうしたらビオラの村山さん(故人)とチェロの蛯子さん(故人)がいらっしゃいました。

――これは親松さんのインタビューで出てきた中島邸での合奏とは別のものなんですね。

牧野:ええ、別のところから来た話かと思います。セカンドをやっていた方はちょっと失礼ですけども想い出せないですね。

――湘南モーツァルト愛好会の合奏団はどんな活動をされましたか。

牧野:この時、中島先生は湘南モーツァルト愛好会から全権委任されてオーケストラを作るというお気持ちでいらしたようです。
この時やった曲ですが、湘南モーツァルト愛好会は会員番号がモーツァルトのケッヘル番号なんです。
そして中島先生の会員番号の譜面を村山さんがお持ちになりました。ディベルティメントだったと思いますね。
中島先生もチェロを弾かれて、みんなで音を出したんです。
そしてこの練習が終わった後、いまだに覚えてるんですが中島先生が「これで湘南モーツァルト愛好会合奏団の旗揚げだ」とおっしゃいました。
この後、しばらくしてこの合奏団は湘南モーツァルト愛好会から分かれて、湘南アマデウス合奏団の歩みが始まるわけです。

湘南アマデウス合奏団と教会音楽

――湘南アマデウス合奏団が出来てからの思い出をうかがいます。

牧野:ここから湘南アマデウス合奏団と私との歩みが始まったわけですが、それはまたモーツァルトの教会音楽との歩みでもありました。
モーツァルトのミサ曲は主要なもので9曲ありますが、こんなに教会音楽を演奏するオーケストラは他にはないと思います。
本当に神様のお導きだと私は思っています。

聖書に「神の御業は人の手を通しておこなわれる」 という句があります。
私はモーツァルトの音楽は、まさに神からの賜物と感じています。
ほかの作曲家は確かに素晴らしいですけれども、あれは、私は苦しみぬいて作ったように感じます。
これに対してモーツァルトは、本当に神から降りてきた音をそのまま譜面に書いたという感じがするんですね。
特に「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は何十回となく演奏させていただきましたが、神を肌で感じますね。

――こうした教会音楽の選曲の中心は合唱団の方でしたか?

牧野:合唱団の赤羽根さん(故人)ですね。
赤羽根さんがおまとめになった合唱団の冊子がありますが、教会音楽への造詣があらわれていてすばらしいものです。
合奏団もそうですが、合唱団にも信者が多かったですね。赤羽根さんも片瀬教会の信者でいらっしゃいました。

初期の湘南アマデウス合奏団――団と団員のみなさん

――こちらに珍しい写真がありますね。初期の思い出はいかがでしょうか。

牧野:湘南アマデウスになってから交響曲や協奏曲をやりました。30年間にたくさん弾かせていただきました。本当によかったな、と思います。
こちらの写真は、藤沢教会ですね。このころはチェロの袴田さんがいつも写真を撮って下さり、立派な額にまで入れて下さいました。

第2回合唱団・合奏団合同定期演奏会、1997.11.24. 藤沢カトリック教会

――春秋の2回の定演は創立当初からですか。

牧野:そうです。これは創立当初からずっとでした。

――当初の弦楽器はどんな方がいらっしゃいましたか。

牧野:ヴァイオリンには大森団長がいらして、江ノ電新聞社のつながりで矢野さん、モーツァルト愛好会からいらした親松さん、それから木下さんと佐野真さんですね。
ビオラは角村さん、鎌田さん(お二人とも栄光のご出身です)、それに村山さんです。
チェロには蛯子さん、袴田さんのほか、川添さんと谷川さんがいらっしゃいました。

忘れてならないのは、N響をご卒業されて、合唱団の堀部先生のご紹介でこの団に来て下さった建部先生(コントラバス・故人)です。
合唱団の堀部先生は、建部先生の受洗の時の代父でもありました。
建部先生は合奏の時、私のちょうど向かい側にいらして、いろいろとアドバイスをいただきました。

――管楽器はどうでしょうか。

牧野:その頃、オーボエの樋口さんがアメリカから帰って来られて、私が呼んじゃったんですよ(笑)。
樋口さんは渡米前に藤響にいらっしゃったんですけど、帰国後に「席が無くなっちゃったよ」と言われて、それで私がお誘いしたんです。
この樋口さんがオーボエの川嵜さんをお呼びして、管楽器も充実してきましたね。藤響とのつながりも大事ですね。

当初はホルンの富坂さんの上智大のつながりがありました。コントラバスの箕輪さんも富坂さんのつながりで入団されました。

――富坂さんはどうやって入団されたんでしょうか。

牧野:富坂さんは私が行ったらすでにいらしたんで、愛好会のつながりでしょう。
鵠沼に設計事務所をお持ちで、内装がウェッジウッドのブルーで、そこにホルンが素敵に置かれていたのをおぼえています。

――牧野さんのつながりで入団された方も多いですね。

牧野:この地域で合唱劇「ぞうれっしゃがやってきた」[小出隆原作、藤村記一郎作曲]をやりました。
その中心は鎌倉のジュニアオケの指揮者の方で、私もなぜか参加したんですが、そこで影山さん・堀内さん(フルート)、それに坂井さん(クラリネット)と知り合いました。

――その影山さんのご縁で私も入団したということですね(笑)。

終わりに

――牧野さんは当団の創設者のおひとりであり、長年、弦楽器セクションを率いて下さいました。最後にひと言お願いします。

牧野:毎週日曜は、午前中にミサに行き、午後にアマデウスの練習があり、一週間で一番忙しいですけど、充実した日々でもあります。

モーツァルトの交響曲もほぼ全曲、大好きなピアノ協奏曲もほとんど全曲、ベートーベンの交響曲も来年[2024年]の「田園」ですべて演奏させていただくことになります。
また、当団の姉妹団体である合唱団の存在のおかげでモーツァルトの教会音楽をこんなにたくさん弾かせていただける事になりました。

ドン・ボスコ教会に足を踏み入れた時から、神は音楽と共に私を導いて下さいました。私の人生は、本当に、節目節目に神との出会い、音楽との出会いがありました。特にこの30年は、モーツァルトの音楽と共にこの上ない豊かな人生を歩ませていただきました。

神と、私の人生に関わってくださった皆様に心から感謝申し上げます。

――本日はありがとうございました。